2014.04.12 (Sat)
生放送お笑い番組の完全終焉と今になって思ういいとも増刊号の役割
そろそろ、いいとも終了に関する文章は出尽くした感があるが、もうひとつ、先日知人と食事をしていた際に話題になったことを書いておきたい。
それは「笑っていいとも」が終わったことで、テレビ番組における生放送のレギュラーお笑い番組の息の根が完全に止まったということである。
後継番組の「バイキング」にはお笑い芸人が多数出ているものの、裏の「ヒルナンデス」同様に「情報番組」の冠をかぶっている。お笑い生放送番組は本当に終わったのである。
ただ、実を言うと、日本におけるレギュラー生放送お笑い番組というのは、今から30年前、1985年の時点でとっくに終わっている。
8時だョ!全員集合が終わる際、TBSは公式発表の中で「生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。ナンセンスギャグもやり尽くした」と発表しているのだ。
同じ時間の裏番組であった録画形式のひょうきん族に対して、生放送を貫き通した全員集合の敗北宣言がここにある。
もう、この時点で、お笑い番組を生でやることは否定されていたのである。
その後も、お笑い芸人が生放送を売りにした番組に挑戦する機会はあった。
とくに複数の冠番組を持つ芸人を使う際、他の番組と差別化するために生番組とする傾向が90年代にはみられた。
例えば、とんねるずは1991年に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で生放送お笑い番組を開始した。「生ダら」の愛称で知られたこの番組は2001年まで10年にわたって続いたが、本当に生放送だったのは最初の数回だけで、その後は「生で」の看板に偽りありの録画放送となっていた。
ダウンタウンも、最盛期であった1992年に「生生生生ダウンタウン」という番組をスタートさせたが、これも半年で録画放送となり1年で番組は終了した。
なぜ、お笑い番組は生放送になじまなくなったのか。その一因として番組編集が挙げられる。
まず、90年代からお笑い番組は編集によってテロップを入れ笑いを増幅させることが常識になった(その元祖と言われているのが、皮肉にも前述の「生ダラ」である)。生放送ではそれが出来ないことで、テロップ慣れした視聴者に物足りなさを感じさせるようになってしまった。
また、編集は面白くない箇所を削り、面白いところだけを抽出する作業でもある。録画・編集を経て笑い密度が濃くなった番組に対して、生放送というのは笑い密度という点でどうしても負ける。
スベリ知らずのように見える芸人であっても、生放送では百発百中とはいかないし、変な空気になることも多々ある。
カルピスを原液でしか飲んだことのない人に、水で薄めたカルピスをいくら「これが本来なんだよ」と言って勧めたところで、「薄いね」のひとことで片付けられてしまう。
こうしてテレビ界は、生放送のお笑い番組をあきらめていった。
しからばなぜ、笑っていいとも!は2014年まで生放送お笑い番組の形式で生きながらえたのだろうか。
もちろん、いいとも!は「お笑い番組」ではなかったから、という答えもあるだろう。お笑い番組の定義など曖昧なのだから、そのように分類してしまう手もある。しかし、やはりいいとも!は「笑って」いいとも!である以上、やはりお笑い番組である。よしんばお笑い番組でなくとも、情報番組ではなかったのは間違いない。いいとも!にほぼ有益な情報はなく、逆に言えば有益な情報がないことがいいとも!が長く続いた理由なのだから。
話がそれた。なぜ、いいとも!は生放送レギュラーお笑い番組として続いたのか。
ひとつは時間帯である。
そもそも昼のこの時間帯の視聴者は「ながら観」が基本で、そもそも番組に密度を求めていない。飯を食いながら気楽に観られる程度の笑いがあればそれでよかった。
たとえ、微妙な空気の時間があったとしても、それは、カップ焼きそばや、コンビニおにぎりを咀嚼する中での暇つぶしとしては目くじらをたてるようなものではなかったのだ。
そしてもうひとつ重要なのは増刊号の存在である。
巷のサラリーマンは殆どいいともをリアルタイムでは観ていなかった。
日曜日の朝、だらだらと遅く起きて、テレビをつけ、笑っていいとも増刊号をみてはじめて、今のレギュラーが誰かを把握していたのだ。
当然ながら、増刊号は生ではない。テロップこそ殆どでないが、生放送の面白かった部分を録画編集して凝縮したものが増刊号である。
そのため、実際にリアルタイムでみるいいともの笑いが全体的に薄くなっていたとしても、殆どの人に気づかれなかったのである。
現状を踏まえると、いいとも終了以後、生放送のお笑いレギュラー番組が始まることはもう無いかもしれない。
しかし、生ゆえの緊張感、生ゆえのハプニング、それは情報番組やニュース番組だけのものではないはずだ。
いつか、志のあるお笑い芸人が、再び生放送レギュラーお笑い番組に挑戦することを期待している。
それは「笑っていいとも」が終わったことで、テレビ番組における生放送のレギュラーお笑い番組の息の根が完全に止まったということである。
後継番組の「バイキング」にはお笑い芸人が多数出ているものの、裏の「ヒルナンデス」同様に「情報番組」の冠をかぶっている。お笑い生放送番組は本当に終わったのである。
ただ、実を言うと、日本におけるレギュラー生放送お笑い番組というのは、今から30年前、1985年の時点でとっくに終わっている。
8時だョ!全員集合が終わる際、TBSは公式発表の中で「生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。ナンセンスギャグもやり尽くした」と発表しているのだ。
同じ時間の裏番組であった録画形式のひょうきん族に対して、生放送を貫き通した全員集合の敗北宣言がここにある。
もう、この時点で、お笑い番組を生でやることは否定されていたのである。
その後も、お笑い芸人が生放送を売りにした番組に挑戦する機会はあった。
とくに複数の冠番組を持つ芸人を使う際、他の番組と差別化するために生番組とする傾向が90年代にはみられた。
例えば、とんねるずは1991年に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で生放送お笑い番組を開始した。「生ダら」の愛称で知られたこの番組は2001年まで10年にわたって続いたが、本当に生放送だったのは最初の数回だけで、その後は「生で」の看板に偽りありの録画放送となっていた。
ダウンタウンも、最盛期であった1992年に「生生生生ダウンタウン」という番組をスタートさせたが、これも半年で録画放送となり1年で番組は終了した。
なぜ、お笑い番組は生放送になじまなくなったのか。その一因として番組編集が挙げられる。
まず、90年代からお笑い番組は編集によってテロップを入れ笑いを増幅させることが常識になった(その元祖と言われているのが、皮肉にも前述の「生ダラ」である)。生放送ではそれが出来ないことで、テロップ慣れした視聴者に物足りなさを感じさせるようになってしまった。
また、編集は面白くない箇所を削り、面白いところだけを抽出する作業でもある。録画・編集を経て笑い密度が濃くなった番組に対して、生放送というのは笑い密度という点でどうしても負ける。
スベリ知らずのように見える芸人であっても、生放送では百発百中とはいかないし、変な空気になることも多々ある。
カルピスを原液でしか飲んだことのない人に、水で薄めたカルピスをいくら「これが本来なんだよ」と言って勧めたところで、「薄いね」のひとことで片付けられてしまう。
こうしてテレビ界は、生放送のお笑い番組をあきらめていった。
しからばなぜ、笑っていいとも!は2014年まで生放送お笑い番組の形式で生きながらえたのだろうか。
もちろん、いいとも!は「お笑い番組」ではなかったから、という答えもあるだろう。お笑い番組の定義など曖昧なのだから、そのように分類してしまう手もある。しかし、やはりいいとも!は「笑って」いいとも!である以上、やはりお笑い番組である。よしんばお笑い番組でなくとも、情報番組ではなかったのは間違いない。いいとも!にほぼ有益な情報はなく、逆に言えば有益な情報がないことがいいとも!が長く続いた理由なのだから。
話がそれた。なぜ、いいとも!は生放送レギュラーお笑い番組として続いたのか。
ひとつは時間帯である。
そもそも昼のこの時間帯の視聴者は「ながら観」が基本で、そもそも番組に密度を求めていない。飯を食いながら気楽に観られる程度の笑いがあればそれでよかった。
たとえ、微妙な空気の時間があったとしても、それは、カップ焼きそばや、コンビニおにぎりを咀嚼する中での暇つぶしとしては目くじらをたてるようなものではなかったのだ。
そしてもうひとつ重要なのは増刊号の存在である。
巷のサラリーマンは殆どいいともをリアルタイムでは観ていなかった。
日曜日の朝、だらだらと遅く起きて、テレビをつけ、笑っていいとも増刊号をみてはじめて、今のレギュラーが誰かを把握していたのだ。
当然ながら、増刊号は生ではない。テロップこそ殆どでないが、生放送の面白かった部分を録画編集して凝縮したものが増刊号である。
そのため、実際にリアルタイムでみるいいともの笑いが全体的に薄くなっていたとしても、殆どの人に気づかれなかったのである。
現状を踏まえると、いいとも終了以後、生放送のお笑いレギュラー番組が始まることはもう無いかもしれない。
しかし、生ゆえの緊張感、生ゆえのハプニング、それは情報番組やニュース番組だけのものではないはずだ。
いつか、志のあるお笑い芸人が、再び生放送レギュラーお笑い番組に挑戦することを期待している。
2014.04.06 (Sun)
10(テン)年代のあらびき団としての有吉反省会と毒蝮三太夫
笑っていいともが盛大なグランドフィナーレを迎え、ダウンタウンととんねるずが歴史的な競演を果たしていたその頃、裏番組の汐留沼地では、いいともに出たかったなあと司会者がしみじみ語り、「羽田惠理香」が「はねだえりか」へと、どうでもいい改名をしたことを反省していた。
有吉反省会の話である。
有吉反省会は、2013年4月から日本テレビ系列で毎週日曜22時30分に放映されているバラエティ番組。ちなみに、その時間帯は、かつて進め!電波少年が一世を風靡していた枠でもある。
毎回、芸能人やスポーツ選手が様々なことを反省し、有吉弘行と三人の見届け人がそれに対してつっこみを入れ、最後には「禊のお時間」として罰ゲームが課される。
反省する有名人は大御所芸能人から全く無名のグラビアアイドルまで幅広く、また、その反省内容も「整形告白」から「芸能界で一番ヒマ」まで大小さまざまである。
しかし、ひとつひとつの反省はとるに足らない話であっても、いちいち細部をほじくりかえし、MCの有吉弘行が的確な叩き・いなし・嘲りを駆使することでそれは笑いになっていく。いや、寧ろ、とるに足らないどうでもいい話であればあるほど、大きい笑いを生む。
この構造は、2007年に始まり2011年に惜しまれながら地上波放送を終了した「あらびき団」に似ている。
ときには、ただ「メタボリックであることを叫ぶだけ」だったり、「おばあちゃん芸人が台詞を忘れる」だけであったりする「あらびき芸」を意地悪きわまりない演出とレフト藤井(藤井隆)・ライト東野(東野幸治)のMCで笑いに換えていたあの番組である。
当時、ある芸人が他のネタ番組オーディションであらびき団と同じパフォーマンスをしたところ「ネタをやってください」と言われたという逸話が示す通り、事実上あらびき団はネタ番組ではなかった。料理人であるスタッフとMCが、どんな材料であっても料理する、カテゴライズするならば料理番組だったのかもしれない。
有吉反省会における料理の材料は、あらびき団から更に一歩進んで、もはや芸ですらない。
「ゴーヤに夢中になる川崎麻世」「ペットのふくろうが何より大事な浅倉大介」「盗難被害ネタで仕事をとる桑マン」
ネットのまとめサイトでも一瞬でスルーされてしまうようなこれらのどうでもよいことを、有吉は手を抜かず、一流の腕で料理するのだ。
露骨な売名には軽蔑を、くだらないネタには真剣なつっこみを、久しぶりにメディアに登場したアイドルには「ばばあ呼ばわり」を。各種素材が一番面白くなるように会話を広げていく。
今回のいいとも裏の有吉反省会スペシャルで、5年ぶりにバラエティに登場した泰葉が、こんな有吉の本質をついた一言を言っている。
「有吉さん、やっぱり愛がある。ビシバシ叩かれてても愛がありますね」
今回の泰葉の出演自体は、本人が必要以上にリアルに反省していたため不完全燃焼だったが、元々5年ぶりにバラエティ出演するにあたって弟こぶ平が言ったという「有吉には根底に愛があるから大丈夫」を裏付けるようなこの発言には意味があった。
かつて、有吉自身がラジオで話したように「あの人は今」のような番組は、過去の栄光を美辞麗句で持ち上げることで、かえって過去の人であることを強調し、さげすむというおためごかし構造である。
有吉はそれを十二分に認識しているからこそ、食材としてまな板に自ら載って来た芸能人には、容赦ない切れ味で包丁をふるう。過去をぬるま湯につけるより、現在のアツアツの熱湯をぶっかける。そうすることが、一番本人にとってうれしいことを知っているからだ。
だからこそ、多くの芸能人が、この番組で恥をさらし、反省をして、嬉々として有吉に身を委ねる。
そういった意味では、有吉弘行は芸能人にとっての毒蝮三太夫ともいえる。
たとえ「汚ねえ顔したばばあだな」と言われようとも、その発言に「愛」を感じて群がる妙齢のご婦人たちのように、これからも数多くの芸能人が、この番組で反省をするだろう。
しかしどんな材料が来ても有吉は料理するはずだ。
毎日、どんな各地のじじい、ばばあが来ても、罵倒しながら笑って握手するまむちゃんのように。
有吉反省会の話である。
有吉反省会は、2013年4月から日本テレビ系列で毎週日曜22時30分に放映されているバラエティ番組。ちなみに、その時間帯は、かつて進め!電波少年が一世を風靡していた枠でもある。
毎回、芸能人やスポーツ選手が様々なことを反省し、有吉弘行と三人の見届け人がそれに対してつっこみを入れ、最後には「禊のお時間」として罰ゲームが課される。
反省する有名人は大御所芸能人から全く無名のグラビアアイドルまで幅広く、また、その反省内容も「整形告白」から「芸能界で一番ヒマ」まで大小さまざまである。
しかし、ひとつひとつの反省はとるに足らない話であっても、いちいち細部をほじくりかえし、MCの有吉弘行が的確な叩き・いなし・嘲りを駆使することでそれは笑いになっていく。いや、寧ろ、とるに足らないどうでもいい話であればあるほど、大きい笑いを生む。
この構造は、2007年に始まり2011年に惜しまれながら地上波放送を終了した「あらびき団」に似ている。
ときには、ただ「メタボリックであることを叫ぶだけ」だったり、「おばあちゃん芸人が台詞を忘れる」だけであったりする「あらびき芸」を意地悪きわまりない演出とレフト藤井(藤井隆)・ライト東野(東野幸治)のMCで笑いに換えていたあの番組である。
当時、ある芸人が他のネタ番組オーディションであらびき団と同じパフォーマンスをしたところ「ネタをやってください」と言われたという逸話が示す通り、事実上あらびき団はネタ番組ではなかった。料理人であるスタッフとMCが、どんな材料であっても料理する、カテゴライズするならば料理番組だったのかもしれない。
有吉反省会における料理の材料は、あらびき団から更に一歩進んで、もはや芸ですらない。
「ゴーヤに夢中になる川崎麻世」「ペットのふくろうが何より大事な浅倉大介」「盗難被害ネタで仕事をとる桑マン」
ネットのまとめサイトでも一瞬でスルーされてしまうようなこれらのどうでもよいことを、有吉は手を抜かず、一流の腕で料理するのだ。
露骨な売名には軽蔑を、くだらないネタには真剣なつっこみを、久しぶりにメディアに登場したアイドルには「ばばあ呼ばわり」を。各種素材が一番面白くなるように会話を広げていく。
今回のいいとも裏の有吉反省会スペシャルで、5年ぶりにバラエティに登場した泰葉が、こんな有吉の本質をついた一言を言っている。
「有吉さん、やっぱり愛がある。ビシバシ叩かれてても愛がありますね」
今回の泰葉の出演自体は、本人が必要以上にリアルに反省していたため不完全燃焼だったが、元々5年ぶりにバラエティ出演するにあたって弟こぶ平が言ったという「有吉には根底に愛があるから大丈夫」を裏付けるようなこの発言には意味があった。
かつて、有吉自身がラジオで話したように「あの人は今」のような番組は、過去の栄光を美辞麗句で持ち上げることで、かえって過去の人であることを強調し、さげすむというおためごかし構造である。
有吉はそれを十二分に認識しているからこそ、食材としてまな板に自ら載って来た芸能人には、容赦ない切れ味で包丁をふるう。過去をぬるま湯につけるより、現在のアツアツの熱湯をぶっかける。そうすることが、一番本人にとってうれしいことを知っているからだ。
だからこそ、多くの芸能人が、この番組で恥をさらし、反省をして、嬉々として有吉に身を委ねる。
そういった意味では、有吉弘行は芸能人にとっての毒蝮三太夫ともいえる。
たとえ「汚ねえ顔したばばあだな」と言われようとも、その発言に「愛」を感じて群がる妙齢のご婦人たちのように、これからも数多くの芸能人が、この番組で反省をするだろう。
しかしどんな材料が来ても有吉は料理するはずだ。
毎日、どんな各地のじじい、ばばあが来ても、罵倒しながら笑って握手するまむちゃんのように。
2014.04.04 (Fri)
裏「はやく起きた朝は…」としての久保みねヒャダ
フジテレビは三人組を作るのが好きな局である。
古くは「欽ドン!良い子悪い子普通の子」もフジテレビだし、八木亜希子・有賀さつき・河野景子のフジ女子アナ三人娘なんてのもあった。
現在は「僕らの時代」という、よくわからないつながりの三人を毎週集めて雑談させる番組も持っている。
そんなフジテレビが生んだ最も新しい三人組の番組といえば土曜深夜の「久保みねヒャダこじらせナイト」である。
久保ミツロウ、能町みね子、ヒャダイン(前山田健一)の三人が、トーク中心に遊び倒すこの番組。AMラジオとインターネットの濃い部分をさらに濃縮したような20分は、これまでのどの番組にも無かったテイストであり、間違いなくテレビ史の1枚を飾るプログラムと言ってもいい。
しかし、フジテレビには番組開始から20年を誇るもうひとつの三人組番組がある。
磯野貴理子、松居直美、森尾由美の「はやく起きた朝は… 」である。
あれ「おそく起きた朝は… 」じゃなかったっけ?いや、「おそく起きた昼は… 」だろうと思う人もいるであろう。どれも正解である。時間帯が移るたびに、タイトルを微妙に変更しており、現在は、日曜朝6:30という老人と部活少年くらいしか起きていない時間からやっているので「はやく起きた朝」に変わっているのである。
この二つの番組は意外にも似ている。
・両番組とも、三人が、ときには視聴者からのハガキに基づき、ときには自らの発想でゲームやトークをする。
・三人組の略称がある(久保みねヒャダ/森の磯松)
・センターにはよくしゃべり、トークを引っ張るリーダー格(久保ミツロウ/磯野貴理子)
・サイドにはリーダーに冷静に突っ込みながらもノリを合わせられるサブリーダータイプ(能町みね子/松居直美)
・逆サイドには比較的一歩引いた可愛い担当タイプ(森尾由美/ヒャダイン)
・三人はトーク中、ほとんど座って動かない。
・トークゲストを呼ぶことはほとんどなく大半のことが三人で完結する。
・視聴者を入れたトークライブもたまに行う。
更に言うと、両三人組とも、老人になっても老人ホームでいっしょに暮らしてそうな感じがする。これは、まるっきりの主観だけれども。
しかし、こんなにもフォーマットが似ているにも関わらず、二つの番組はまるでテイストが違う。
チープな言葉で喩えるならば、片やサブカルどっぷり、片やむきだしのファンシー。自意識の発露と無意識の暴走。
久保みねヒャダが高橋真麻主演のドラマのプロットを考えているその頃、はやく起きた朝は… では視聴者からもらった絵手紙をひたすら褒めている。
能町みね子がマーブルシュッドの北海道柄ワンピを着ている頃、森尾由美は相も変わらずPINK HOUSEを着ている。
おそらくメイン視聴者は微塵もかぶっておらず、ベン図にするとキレイに丸が二つ書かれることだろう。
「はやく起きた朝は… 」が太陽とすれば、「久保みねヒャダ」は月。
光と陰。表と裏。加勢大周と坂本一生。
両番組は決して交わることなく対照的である。
けれど、フジテレビ王道の三人組フォーマットに則っている以上、行く末は恐らく変わらないはずだ。
対照的であるがゆえにこそ、きっと両番組は同じような道を歩み続ける。
私はここで予言する。
こじらせナイトは、いずれ時間帯が変わり「久保みねヒャダこじらせモーニング」とか「久保みねヒャダこじらせフライデー」とかになるだろう。
久保みねヒャダはCDを出すだろう。森尾由美、磯野貴理子、松居直美がそれぞれの頭文字をとった「森の磯松」名でCDを出したように。
久保みねヒャダの映画も出来ることだろう。5年前「はやく起きた朝は…」が「オンステージ THE MOVIE」として映画化されたように。というか、映画になってたことを知らない人も多いだろうが。
そして、「はやく起きた朝は…」が20年続いたように、久保みねヒャダも何のかんの言われながらも、きっと20年続くだろう。
そのときは、70歳を迎えた磯野貴理子率いる「はやく起きた朝は…」も40周年をむかえるのだろうけれども。
古くは「欽ドン!良い子悪い子普通の子」もフジテレビだし、八木亜希子・有賀さつき・河野景子のフジ女子アナ三人娘なんてのもあった。
現在は「僕らの時代」という、よくわからないつながりの三人を毎週集めて雑談させる番組も持っている。
そんなフジテレビが生んだ最も新しい三人組の番組といえば土曜深夜の「久保みねヒャダこじらせナイト」である。
久保ミツロウ、能町みね子、ヒャダイン(前山田健一)の三人が、トーク中心に遊び倒すこの番組。AMラジオとインターネットの濃い部分をさらに濃縮したような20分は、これまでのどの番組にも無かったテイストであり、間違いなくテレビ史の1枚を飾るプログラムと言ってもいい。
しかし、フジテレビには番組開始から20年を誇るもうひとつの三人組番組がある。
磯野貴理子、松居直美、森尾由美の「はやく起きた朝は… 」である。
あれ「おそく起きた朝は… 」じゃなかったっけ?いや、「おそく起きた昼は… 」だろうと思う人もいるであろう。どれも正解である。時間帯が移るたびに、タイトルを微妙に変更しており、現在は、日曜朝6:30という老人と部活少年くらいしか起きていない時間からやっているので「はやく起きた朝」に変わっているのである。
この二つの番組は意外にも似ている。
・両番組とも、三人が、ときには視聴者からのハガキに基づき、ときには自らの発想でゲームやトークをする。
・三人組の略称がある(久保みねヒャダ/森の磯松)
・センターにはよくしゃべり、トークを引っ張るリーダー格(久保ミツロウ/磯野貴理子)
・サイドにはリーダーに冷静に突っ込みながらもノリを合わせられるサブリーダータイプ(能町みね子/松居直美)
・逆サイドには比較的一歩引いた可愛い担当タイプ(森尾由美/ヒャダイン)
・三人はトーク中、ほとんど座って動かない。
・トークゲストを呼ぶことはほとんどなく大半のことが三人で完結する。
・視聴者を入れたトークライブもたまに行う。
更に言うと、両三人組とも、老人になっても老人ホームでいっしょに暮らしてそうな感じがする。これは、まるっきりの主観だけれども。
しかし、こんなにもフォーマットが似ているにも関わらず、二つの番組はまるでテイストが違う。
チープな言葉で喩えるならば、片やサブカルどっぷり、片やむきだしのファンシー。自意識の発露と無意識の暴走。
久保みねヒャダが高橋真麻主演のドラマのプロットを考えているその頃、はやく起きた朝は… では視聴者からもらった絵手紙をひたすら褒めている。
能町みね子がマーブルシュッドの北海道柄ワンピを着ている頃、森尾由美は相も変わらずPINK HOUSEを着ている。
おそらくメイン視聴者は微塵もかぶっておらず、ベン図にするとキレイに丸が二つ書かれることだろう。
「はやく起きた朝は… 」が太陽とすれば、「久保みねヒャダ」は月。
光と陰。表と裏。加勢大周と坂本一生。
両番組は決して交わることなく対照的である。
けれど、フジテレビ王道の三人組フォーマットに則っている以上、行く末は恐らく変わらないはずだ。
対照的であるがゆえにこそ、きっと両番組は同じような道を歩み続ける。
私はここで予言する。
こじらせナイトは、いずれ時間帯が変わり「久保みねヒャダこじらせモーニング」とか「久保みねヒャダこじらせフライデー」とかになるだろう。
久保みねヒャダはCDを出すだろう。森尾由美、磯野貴理子、松居直美がそれぞれの頭文字をとった「森の磯松」名でCDを出したように。
久保みねヒャダの映画も出来ることだろう。5年前「はやく起きた朝は…」が「オンステージ THE MOVIE」として映画化されたように。というか、映画になってたことを知らない人も多いだろうが。
そして、「はやく起きた朝は…」が20年続いたように、久保みねヒャダも何のかんの言われながらも、きっと20年続くだろう。
そのときは、70歳を迎えた磯野貴理子率いる「はやく起きた朝は…」も40周年をむかえるのだろうけれども。
2014.04.01 (Tue)
いいとも大団円と25年前のひょうきん族最終回にみるフジテレビバラエティの正しい終わり方
私の実家には25年前に録画した1本のVHSビデオテープがある。
内容は「オレたちひょうきん族最終回 タケちゃんマン忠臣蔵」である。
もちろんツメは折ってある。
3月31日の笑っていいとも最終回をみて、そのことを思い出した。
オレたちひょうきん族は、80年代前半から後半にかけて毎週土曜20時にフジテレビ系列で放映されていたバラエティである。
現在30代後半以上の人には改めて説明するまでもないが、ビートたけし、明石家さんまを中心に80年代漫才ブーム以後のお笑い芸人が多数登場した押しも押されもしない看板番組であった。
かつて全国の小学生がかじりついて観ていた「8時だよ!全員集合!」の裏番組としてスタートしたひょうきん族は、やがてその視聴者を奪い、ドリフを古い笑いの位置づけに追いやった。
タケちゃんマン、ブラックデビルなどの名物キャラクターや、冗談はよせ、がっちょーんなどの流行語も多数産み、まさに観ていないと翌週の話題に乗り遅れる番組であった。
しかし、そんな一世を風靡したひょうきん族も晩年は勢いが落ちる。
お笑いホームビデオを武器に息を吹き返した全員集合の後番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の勃興に加え、ビートたけしの度重なる無断欠勤などもあり、あれほど熱狂して観ていた視聴者はどんどん離れていった。
そんな右肩下がりの状況で迎えた最終回であったが、そこはさすがの芸人達。これまでの歴代キャラクター総登場のタケちゃんマンスペシャルは、時間を忘れさせるほどの出来であり、懐かしさを感じるとともに爆笑の嵐であった。
ひょうきん族といえば、昔のバラエティでは典型的な「効果音笑い」であったが、仮に生笑いだったとしても爆笑が続いたであろう、そんな内容だった。
スペシャルコントも終盤にさしかかり、コントの設定を離れ「最後にみんなから一言」的な空気になったところで、大きく流れが変わる。
番組のマドンナ的存在だった石井めぐみが「酔っぱらって、夜にさびしい男のふりして電話してくるのはやめましょう」と言い放ってからは、スタッフも巻き込んだ大暴露大会に。
結局、ラストまでぐだぐだは続き、何ともしまらないままエンディングの時間。
そこで画面に流れたのは、1981年に番組が開始したときのオープニング食事コントを、1989年に同じメンバーが再現し、昔と今の映像がクロスオーバーする映像。
そして番組開始時同様に、ビートたけしが「オレたち!」と叫ぶと、全員がそろって「ひょうきん族!」。
EPOの主題歌が流れる中、最後はきっちりと締めて見せたのであった。
ひるがえって今回のいいとも最終回はどうであったか。
昼はビートたけし最後のテレホンショッキングで大笑いし、夜も豪華な出演者がこれまで観たことがないような競演を果たし、明石家さんまはキレッキレの話術を見せつけた。
しかし番組後半、出演者からタモさんへそれぞれ一言ずつ、となったところで流れはぐだぐだとなる。
いきなり涙する者、ネタを見せる者、お笑い芸人なのに全く笑いをとらず真面目な挨拶をする者、各曜日レギュラー陣のスピーチは心に沁みるものもあったが、いかんせん長過ぎた。
しかも、いいともは生放送である。そもそも生放送のお笑い番組というフォーマットはとうに終焉を迎えており、編集で濃縮された笑いに慣れた視聴者にとって、笑い濃度が薄まった生放送は水で薄めたジュースのように思えたに違いない。
延々と続くぐだぐだスピーチ展開にチャンネルを変えかけた視聴者も数多くいたことであろう。
しかし最後に番組の顔、タモリがキレイに締めてみせる。
視聴者と支えたスタッフへの感謝を簡潔な言葉で述べると、最後は出演者全員の「ウキウキWATCHING」。
そして32年間変わらないお開きの言葉「それでは、また明日も観てくれるかな?」「いいとも!」のかけ声で大団円。
豪華なお笑いスターの競演も、途中のぐだぐだな空気も、そして最後に主役の千両役者が締めるのも、ひじょうにフジテレビらしかった。
いいとも最終回に対するネットの反応を観ると、褒めたり、けなしたり、惜しんだり、と様々である。
しかし、私は25年前のひょうきん族の終わりと比較してみて、今回のいいとも最終回は、極めてフジテレビ的に正しい終わり方であったと思うのだ。
まだまだフジテレビには長寿お笑いバラエティ番組がたくさんある。
「とんねるずのみなさんのおかげでした」もそうだし「めちゃ×2イケてる!」もそうだ。
今もまだ続くこれらの番組もいつかは終焉のときを迎える。
そのときは、またきっとフジテレビらしい終わり方で締めくくってくれると期待している。
内容は「オレたちひょうきん族最終回 タケちゃんマン忠臣蔵」である。
もちろんツメは折ってある。
3月31日の笑っていいとも最終回をみて、そのことを思い出した。
オレたちひょうきん族は、80年代前半から後半にかけて毎週土曜20時にフジテレビ系列で放映されていたバラエティである。
現在30代後半以上の人には改めて説明するまでもないが、ビートたけし、明石家さんまを中心に80年代漫才ブーム以後のお笑い芸人が多数登場した押しも押されもしない看板番組であった。
かつて全国の小学生がかじりついて観ていた「8時だよ!全員集合!」の裏番組としてスタートしたひょうきん族は、やがてその視聴者を奪い、ドリフを古い笑いの位置づけに追いやった。
タケちゃんマン、ブラックデビルなどの名物キャラクターや、冗談はよせ、がっちょーんなどの流行語も多数産み、まさに観ていないと翌週の話題に乗り遅れる番組であった。
しかし、そんな一世を風靡したひょうきん族も晩年は勢いが落ちる。
お笑いホームビデオを武器に息を吹き返した全員集合の後番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の勃興に加え、ビートたけしの度重なる無断欠勤などもあり、あれほど熱狂して観ていた視聴者はどんどん離れていった。
そんな右肩下がりの状況で迎えた最終回であったが、そこはさすがの芸人達。これまでの歴代キャラクター総登場のタケちゃんマンスペシャルは、時間を忘れさせるほどの出来であり、懐かしさを感じるとともに爆笑の嵐であった。
ひょうきん族といえば、昔のバラエティでは典型的な「効果音笑い」であったが、仮に生笑いだったとしても爆笑が続いたであろう、そんな内容だった。
スペシャルコントも終盤にさしかかり、コントの設定を離れ「最後にみんなから一言」的な空気になったところで、大きく流れが変わる。
番組のマドンナ的存在だった石井めぐみが「酔っぱらって、夜にさびしい男のふりして電話してくるのはやめましょう」と言い放ってからは、スタッフも巻き込んだ大暴露大会に。
結局、ラストまでぐだぐだは続き、何ともしまらないままエンディングの時間。
そこで画面に流れたのは、1981年に番組が開始したときのオープニング食事コントを、1989年に同じメンバーが再現し、昔と今の映像がクロスオーバーする映像。
そして番組開始時同様に、ビートたけしが「オレたち!」と叫ぶと、全員がそろって「ひょうきん族!」。
EPOの主題歌が流れる中、最後はきっちりと締めて見せたのであった。
ひるがえって今回のいいとも最終回はどうであったか。
昼はビートたけし最後のテレホンショッキングで大笑いし、夜も豪華な出演者がこれまで観たことがないような競演を果たし、明石家さんまはキレッキレの話術を見せつけた。
しかし番組後半、出演者からタモさんへそれぞれ一言ずつ、となったところで流れはぐだぐだとなる。
いきなり涙する者、ネタを見せる者、お笑い芸人なのに全く笑いをとらず真面目な挨拶をする者、各曜日レギュラー陣のスピーチは心に沁みるものもあったが、いかんせん長過ぎた。
しかも、いいともは生放送である。そもそも生放送のお笑い番組というフォーマットはとうに終焉を迎えており、編集で濃縮された笑いに慣れた視聴者にとって、笑い濃度が薄まった生放送は水で薄めたジュースのように思えたに違いない。
延々と続くぐだぐだスピーチ展開にチャンネルを変えかけた視聴者も数多くいたことであろう。
しかし最後に番組の顔、タモリがキレイに締めてみせる。
視聴者と支えたスタッフへの感謝を簡潔な言葉で述べると、最後は出演者全員の「ウキウキWATCHING」。
そして32年間変わらないお開きの言葉「それでは、また明日も観てくれるかな?」「いいとも!」のかけ声で大団円。
豪華なお笑いスターの競演も、途中のぐだぐだな空気も、そして最後に主役の千両役者が締めるのも、ひじょうにフジテレビらしかった。
いいとも最終回に対するネットの反応を観ると、褒めたり、けなしたり、惜しんだり、と様々である。
しかし、私は25年前のひょうきん族の終わりと比較してみて、今回のいいとも最終回は、極めてフジテレビ的に正しい終わり方であったと思うのだ。
まだまだフジテレビには長寿お笑いバラエティ番組がたくさんある。
「とんねるずのみなさんのおかげでした」もそうだし「めちゃ×2イケてる!」もそうだ。
今もまだ続くこれらの番組もいつかは終焉のときを迎える。
そのときは、またきっとフジテレビらしい終わり方で締めくくってくれると期待している。
2014.03.30 (Sun)
はしのえみは朝ドラヒロインであった
はしのえみが18年の長きに亘る王様のブランチレギュラーを卒業した。
18年前といえば、橋本龍太郎内閣が発足し、東京ビッグサイトが開業し、清原が巨人に入った年である。
そんな昔から、はしのえみは土曜の半日間をブランチの生放送に費やしてきたのだ。
はしのえみの18年間の王様のブランチ生活を喩えるならば、朝ドラヒロインであったと私は思う。
ーーー
今でこそ、週休2日は当たり前だが、公務員が土曜日も休みになったのは1992年のことである。
公立学校が完全に土日休みになったのは2002年(1992年以後段階的に導入)のことで、それまではみな、土曜日午前中は、会社なり学校なりに行っていたのだ。
テレビ番組も土曜昼といえば「学校から急いで帰って見る」時間帯からが本番であり、西日本であれば吉本新喜劇から、東日本であれば女の60分かお笑いスター誕生あたりからやっとエンジンがかかるのが常であった。
そんな週休2日がやっと定着しかかった1996年、土曜の午前中に半日かけての生放送という新しい試みでスタートしたのが「王様のブランチ」である。
司会は寺脇康文と田中律子。レギュラー陣に関根勤、恵俊彰、くりぃむしちゅー、神田うのなどを配し、映画や書籍情報、おすすめスポット紹介、グルメレポートなど今も大きく変わらぬスタイルで始まったこの番組。
主にロケによるレポートを担当したのが、ブランチレポーターたちであった。
ウルトラマンの娘、吉本多香美や、既にグラビアなどで活躍していた中森友香などがレポーターとして配置される一方、若手女性タレントの登竜門的な位置づけは意識されており、当時から無名のタレントが抜擢されることも多かった。
しかし、そこは今で言う「リア充」テイストたっぷりの番組。加えて開始当初は関東ローカルであり、扱われる情報は東京中心。採用されるレポーターも親しみ易くもあか抜けたタレントがメインであった。
当時のはしのえみは、鹿児島生まれの鹿児島育ちで、高校一年修了と同時に上京し欽ちゃん劇団に所属。劇団で修行する傍ら、ブカブカという欽ちゃん劇団から生まれた4人組女性ユニットのメンバーでもあった。
ちなみにブカブカの命名者は欽ちゃんで、シングルCDを4枚出したが鳴かず飛ばず。レコード会社の同期、TOKIOの華々しさとは対極にいた。
そんな垢抜けない女性タレントが、なぜ当時ブランチレポーターに選ばれたのかはわからない。
たまにはこんな子も入れてみるかというプロデューサーの気まぐれだったのかもしれないし、欽ちゃんとTBSの長年の関係によるものかもしれない。
真相はわからないが1996年7月。番組開始から3ヶ月後に、はしのえみはブランチレポーターに抜擢された。
ーーー
ところで、次回の朝ドラは「花子とアン」だそうである。
赤毛のアンの翻訳者村岡花子の生涯を描く今ドラマは、予告を見る限り、王道の朝ドラパターンのように思う。
山梨県の貧しい家に生まれた花子は、両親の「教育を受けさせたい」情熱により、華族や富豪の娘が通うミッションスクールへ。環境の違いにとまどいながら、家庭を支えるため勉学に励み、初恋や親友との出会いを経て、翻訳家の道を志す。
生まれたときから少し変わった女子だった主人公が、運命のいたずらと周囲の努力により、異物として特殊な環境に放り込まれ、ときにはいじめにあい、ときには生涯の友と会い、ときには色恋に身をやつしながらも、持ち前の前向きさとパワーで、周囲を巻き込み、本人が成長していくとともに、世の中も変えていく。
これまで何度も繰り返されて来た朝ドラプロットだ。
おそらくはしのえみがブランチレポーター陣に加わったとき、周囲もそして本人も明らかに居心地の悪さを感じたはずである。旬のトレンドをお伝えする番組のレポーター陣の中に、当時もっとも旬とは遠くなっていた欽ちゃん劇団から来た垢抜けない女子がまざっているのだから。
欽ちゃん劇団の中では若くてぴちぴちした娘であっても、並みいる女性タレントの中に入れば「色物」である。CHA-CHAの中にいる松原桃太郎のような存在、最初はスタッフの間でもそのような位置づけだったのかもしれない。
しかも、90年代半ばは、今と違って最も「一生懸命がかっこわるい」とされていたすかした時代である。
欽ちゃんの教えを守り、清く正しく一生懸命にレポートするはしのえみは、ひじょうにかっこわるく映ったことだろう。
懸命に頑張れば頑張るほど、からまわる日々。恐らく鹿児島に帰りたいと思った日も一度や二度ではないだろう。しかし、それでもはしのえみはレポートを頑張った。力一杯、料理の味を、スポットの魅力を、大将直伝の親しみ易さとひたむきさで伝え続けた。そうしていくうちに、徐々に流れは変わっていく。
当初は実験的だった番組も、完全に土曜午前の定番として人気が定着。番組発のヒット企画も多数生まれる等、勢いが増していく。さらには、1997年に、後に盟友となる坂下千里子がレポーターとして加入。阿部美穂子、雨宮朋絵など初期黄金メンバーがブランチレポーターを彩り、BRAN-KOとしてCDも出すなど、出演者への注目も高まっていった。
それと同時にはしのえみは番組のテイストにも馴染み、レポーター陣のセンターとして存在感を増していく。
いや、はしのえみが番組に馴染んだというより、徐々に王様のブランチ自体がはしのえみの影響を受け「田舎から東京に出て来ているOLが東京情報を仕入れる場所」的なテイストで固まっていったのかもしれない。
そして1998年、姫様のお買い物コーナーがスタート。いちレポーターとしては異例の冠コーナーを持つこととなったはしのえみは、劇団出身者としてあくまで「別人格」という設定の姫様を演じ続けた。とくに坂下千里子との掛け合いは若手女性タレント同士のからみとは思えぬ笑いを産み、はしの・坂下両名ともに後に笑っていいともレギュラーになる布石となった。
こうして、ブランチの顔の一人となったはしのえみは、2000年にレポーターは卒業したが、番組レギュラーとしては残留。姫様のコーナーもまた続いていったのだった。
その後も水野裕子、中越典子、安めぐみなど、数多くの女性タレントがブランチレポーターとして活躍。その間、はしのえみは、姫様のかつらを毎週のようにかぶり続け、後輩を見守り、叱咤激励し、そして卒業していくのを見送り続けた。
男性司会は寺脇康文から谷原章介へと移り変わり、女性司会もさとう珠緒、優香、本仮屋ユイカと変遷。映画コーナーも書籍コーナーも担当アナウンサーも変わっていく中、いつしか、はしのえみは番組最長のレギュラーとなっていた。
最初は異物だったはずなのに、懸命に前向きに努力した結果、ついには番組の顔となり、誰よりもその番組を知るものとなったはしのえみ。その18年間はまるで朝ドラヒロインのようであった。
朝ドラの終わりは、年老いた主人公が生涯を振り返るのが常である。
ならば、はしのえみのドラマもまだまだ大団円には早い。
20年後、還暦を迎えたはしのえみが、老いた顔に姫様のかつらをかぶって、ブランチにゲスト出演し、当時の苦労を振り返る。そんな日がくるまで、王様のブランチが続いていることを祈りたい。
18年前といえば、橋本龍太郎内閣が発足し、東京ビッグサイトが開業し、清原が巨人に入った年である。
そんな昔から、はしのえみは土曜の半日間をブランチの生放送に費やしてきたのだ。
はしのえみの18年間の王様のブランチ生活を喩えるならば、朝ドラヒロインであったと私は思う。
ーーー
今でこそ、週休2日は当たり前だが、公務員が土曜日も休みになったのは1992年のことである。
公立学校が完全に土日休みになったのは2002年(1992年以後段階的に導入)のことで、それまではみな、土曜日午前中は、会社なり学校なりに行っていたのだ。
テレビ番組も土曜昼といえば「学校から急いで帰って見る」時間帯からが本番であり、西日本であれば吉本新喜劇から、東日本であれば女の60分かお笑いスター誕生あたりからやっとエンジンがかかるのが常であった。
そんな週休2日がやっと定着しかかった1996年、土曜の午前中に半日かけての生放送という新しい試みでスタートしたのが「王様のブランチ」である。
司会は寺脇康文と田中律子。レギュラー陣に関根勤、恵俊彰、くりぃむしちゅー、神田うのなどを配し、映画や書籍情報、おすすめスポット紹介、グルメレポートなど今も大きく変わらぬスタイルで始まったこの番組。
主にロケによるレポートを担当したのが、ブランチレポーターたちであった。
ウルトラマンの娘、吉本多香美や、既にグラビアなどで活躍していた中森友香などがレポーターとして配置される一方、若手女性タレントの登竜門的な位置づけは意識されており、当時から無名のタレントが抜擢されることも多かった。
しかし、そこは今で言う「リア充」テイストたっぷりの番組。加えて開始当初は関東ローカルであり、扱われる情報は東京中心。採用されるレポーターも親しみ易くもあか抜けたタレントがメインであった。
当時のはしのえみは、鹿児島生まれの鹿児島育ちで、高校一年修了と同時に上京し欽ちゃん劇団に所属。劇団で修行する傍ら、ブカブカという欽ちゃん劇団から生まれた4人組女性ユニットのメンバーでもあった。
ちなみにブカブカの命名者は欽ちゃんで、シングルCDを4枚出したが鳴かず飛ばず。レコード会社の同期、TOKIOの華々しさとは対極にいた。
そんな垢抜けない女性タレントが、なぜ当時ブランチレポーターに選ばれたのかはわからない。
たまにはこんな子も入れてみるかというプロデューサーの気まぐれだったのかもしれないし、欽ちゃんとTBSの長年の関係によるものかもしれない。
真相はわからないが1996年7月。番組開始から3ヶ月後に、はしのえみはブランチレポーターに抜擢された。
ーーー
ところで、次回の朝ドラは「花子とアン」だそうである。
赤毛のアンの翻訳者村岡花子の生涯を描く今ドラマは、予告を見る限り、王道の朝ドラパターンのように思う。
山梨県の貧しい家に生まれた花子は、両親の「教育を受けさせたい」情熱により、華族や富豪の娘が通うミッションスクールへ。環境の違いにとまどいながら、家庭を支えるため勉学に励み、初恋や親友との出会いを経て、翻訳家の道を志す。
生まれたときから少し変わった女子だった主人公が、運命のいたずらと周囲の努力により、異物として特殊な環境に放り込まれ、ときにはいじめにあい、ときには生涯の友と会い、ときには色恋に身をやつしながらも、持ち前の前向きさとパワーで、周囲を巻き込み、本人が成長していくとともに、世の中も変えていく。
これまで何度も繰り返されて来た朝ドラプロットだ。
おそらくはしのえみがブランチレポーター陣に加わったとき、周囲もそして本人も明らかに居心地の悪さを感じたはずである。旬のトレンドをお伝えする番組のレポーター陣の中に、当時もっとも旬とは遠くなっていた欽ちゃん劇団から来た垢抜けない女子がまざっているのだから。
欽ちゃん劇団の中では若くてぴちぴちした娘であっても、並みいる女性タレントの中に入れば「色物」である。CHA-CHAの中にいる松原桃太郎のような存在、最初はスタッフの間でもそのような位置づけだったのかもしれない。
しかも、90年代半ばは、今と違って最も「一生懸命がかっこわるい」とされていたすかした時代である。
欽ちゃんの教えを守り、清く正しく一生懸命にレポートするはしのえみは、ひじょうにかっこわるく映ったことだろう。
懸命に頑張れば頑張るほど、からまわる日々。恐らく鹿児島に帰りたいと思った日も一度や二度ではないだろう。しかし、それでもはしのえみはレポートを頑張った。力一杯、料理の味を、スポットの魅力を、大将直伝の親しみ易さとひたむきさで伝え続けた。そうしていくうちに、徐々に流れは変わっていく。
当初は実験的だった番組も、完全に土曜午前の定番として人気が定着。番組発のヒット企画も多数生まれる等、勢いが増していく。さらには、1997年に、後に盟友となる坂下千里子がレポーターとして加入。阿部美穂子、雨宮朋絵など初期黄金メンバーがブランチレポーターを彩り、BRAN-KOとしてCDも出すなど、出演者への注目も高まっていった。
それと同時にはしのえみは番組のテイストにも馴染み、レポーター陣のセンターとして存在感を増していく。
いや、はしのえみが番組に馴染んだというより、徐々に王様のブランチ自体がはしのえみの影響を受け「田舎から東京に出て来ているOLが東京情報を仕入れる場所」的なテイストで固まっていったのかもしれない。
そして1998年、姫様のお買い物コーナーがスタート。いちレポーターとしては異例の冠コーナーを持つこととなったはしのえみは、劇団出身者としてあくまで「別人格」という設定の姫様を演じ続けた。とくに坂下千里子との掛け合いは若手女性タレント同士のからみとは思えぬ笑いを産み、はしの・坂下両名ともに後に笑っていいともレギュラーになる布石となった。
こうして、ブランチの顔の一人となったはしのえみは、2000年にレポーターは卒業したが、番組レギュラーとしては残留。姫様のコーナーもまた続いていったのだった。
その後も水野裕子、中越典子、安めぐみなど、数多くの女性タレントがブランチレポーターとして活躍。その間、はしのえみは、姫様のかつらを毎週のようにかぶり続け、後輩を見守り、叱咤激励し、そして卒業していくのを見送り続けた。
男性司会は寺脇康文から谷原章介へと移り変わり、女性司会もさとう珠緒、優香、本仮屋ユイカと変遷。映画コーナーも書籍コーナーも担当アナウンサーも変わっていく中、いつしか、はしのえみは番組最長のレギュラーとなっていた。
最初は異物だったはずなのに、懸命に前向きに努力した結果、ついには番組の顔となり、誰よりもその番組を知るものとなったはしのえみ。その18年間はまるで朝ドラヒロインのようであった。
朝ドラの終わりは、年老いた主人公が生涯を振り返るのが常である。
ならば、はしのえみのドラマもまだまだ大団円には早い。
20年後、還暦を迎えたはしのえみが、老いた顔に姫様のかつらをかぶって、ブランチにゲスト出演し、当時の苦労を振り返る。そんな日がくるまで、王様のブランチが続いていることを祈りたい。
2014.02.20 (Thu)
不思議ちゃん、その後
私の記憶が確かならば、川原亜矢子がmc Sisterモデルとして映画「キッチン」やC1000タケダのコマーシャルに出ていた頃、彼女はまごうことなき不思議ちゃんだった。
テレビの生放送バラエティ(「いいとも」のスペシャルだったかな)で、彼女が発言するたびに、周りの大人たちが「頼むから何も言わないでくれ」という顔をしていたのを思い出す。
しかし、数年の時を経て、フランスでのモデル活動から芸能活動に復帰した彼女は、ときにはコメンテーター、ときにはキャスターをこなし、ロレアルのCMで「わたしにはその価値があるから」と自信満々にこちらに目線を向けていた。
あのときの不思議ちゃん、川原亜矢子はどこへ行ってしまったのだろう。
ーーーーーーーーー
世に不思議ちゃんと呼ばれた芸能人は数多い。
しかし不思議ちゃんと呼んでよいのはそれなりの年齢までだ。
年とともに、不思議ちゃんからそのまま「不思議さん」へと成長した人もいれば、ちょっとばかり道を外れ「突き抜けさん」になる人もいる。そうかと思えば無かったことになっている「無かったさん」もいる。
妙齢になった不思議ちゃんたちの変遷を少しまとめてみた。
えっこの人は不思議ちゃんじゃないよ、とか、この人が入ってないよと思う節もあるだろう。
しかし不思議ちゃんという言葉自体がひじょうに曖昧な言葉なので、定義がぶれるのはご容赦いただきたい。基本的には、挙動不審で、空気が読めず、妙な発言をする女性たちである。
このようにまとめてみると、明石家さんま関係者が多いことに気づく。
元妻の大竹しのぶはもちろん、西村知美、釈由美子、山口もえも彼の番組でそのキャラを見出されている(そもそもからくりTVには不思議さん枠がある)。
一般的に、不思議ちゃんが発言した後の観客の反応は総じて「失笑」である。通常の司会者(たとえばくりぃむしちゅー上田)であれば、その失笑を聞いた後に強く突っ込むという手法をとるが、明石家さんまは会場の失笑に先んじて自ら爆笑することでその面白さを引き出す。そのあたりがこういったキャラの人を預けられる信頼感なのではないかと思う。
あと近年多いのがビジネス不思議ちゃんだ。
千秋のように不思議ちゃんキャラを演じつつ実態は違うこともアピールしたり、小倉優子のように事務所に言われたキャラでしたと否定するところまでを芸風にしているケースもある。
個人的には、不思議ちゃんを演じていた自分を否定するというのはあまり好きでは無い。
加藤鷹が「プラトニックス・セックス」を書いた飯島愛に対して「自分を育ててくれたAV業界を足蹴にしたような女は俺は嫌いだ」と言ったのと同じように、「自分を育ててくれたこりん星」にもっと感謝すべきだと思う。
ーーーーーーーーー
現在も平愛梨や吉高由里子、上野樹里など不思議ちゃんと呼ばれる芸能人は数多い。
今をときめく挙動不審朝ドラ女優能年玲奈もそのひとりであろうし、アイドルでも市川美織や安本彩花など、不思議ちゃんキャラは大量発生中である。
しかし、いつまでも「不思議ちゃん」でいるわけにはいかない。
いつかはみんな年を重ね、選択しなくてはならない。
このまま不思議さんでいるのか、無かったことにするのか、はたまた突き抜けていくのか。
不思議さんでいたい?
ならば、明石家さんまの門を叩けばいいんじゃないかな。
テレビの生放送バラエティ(「いいとも」のスペシャルだったかな)で、彼女が発言するたびに、周りの大人たちが「頼むから何も言わないでくれ」という顔をしていたのを思い出す。
しかし、数年の時を経て、フランスでのモデル活動から芸能活動に復帰した彼女は、ときにはコメンテーター、ときにはキャスターをこなし、ロレアルのCMで「わたしにはその価値があるから」と自信満々にこちらに目線を向けていた。
あのときの不思議ちゃん、川原亜矢子はどこへ行ってしまったのだろう。
ーーーーーーーーー
世に不思議ちゃんと呼ばれた芸能人は数多い。
しかし不思議ちゃんと呼んでよいのはそれなりの年齢までだ。
年とともに、不思議ちゃんからそのまま「不思議さん」へと成長した人もいれば、ちょっとばかり道を外れ「突き抜けさん」になる人もいる。そうかと思えば無かったことになっている「無かったさん」もいる。
妙齢になった不思議ちゃんたちの変遷を少しまとめてみた。
氏名 | 変遷 | 備考/名言など |
藤谷美和子 | 不思議ちゃん→突き抜けさん | 大阪で一番多発している犯罪は何だと思うか?という質問に「シュークリーム」 |
大竹しのぶ | 不思議ちゃん→不思議さん | 元祖不思議ちゃん女優。 |
西村知美 | 不思議ちゃん→不思議さん | 渡辺満里奈に「満里奈ちゃんは本当きれいでかわいくて、タンバリンみたい」 |
松本小雪 | 不思議ちゃん→主婦 | 夕焼けニャンニャンに出つつヌード写真集。女優の小雪とは別人だが同一人物だと思っている人がいる。 |
戸川純 | 不思議ちゃん→不思議さん | 本人は不思議ちゃんキャラの人に近寄られるのは嫌いらしい。 |
川原亜矢子 | 不思議ちゃん→無かったさん | 無かったことになっている筆頭。 |
石原真理 | 不思議ちゃん→突き抜けさん | ブログはなかなかに突き抜けた読み応え。 |
山口もえ | 不思議ちゃん→不思議さん | 何でもほしがるまみちゃん時代のCMから声が変わったためビジネス不思議ちゃん疑惑あり。 |
釈由美子 | 不思議ちゃん→不思議さん | 小さいおっさん妖精を見たでおなじみ。 |
千秋 | 不思議ちゃん→無かったさん | 典型的なビジネス不思議ちゃん。商才に長けている。 |
小阪由佳 | 不思議ちゃん→突き抜けさん→無かったさん | 芸能界の可哀想な犠牲者。 |
小倉優子 | 不思議ちゃん→無かったさん | 無かったことにするところまでを芸にする先駆者。 |
えっこの人は不思議ちゃんじゃないよ、とか、この人が入ってないよと思う節もあるだろう。
しかし不思議ちゃんという言葉自体がひじょうに曖昧な言葉なので、定義がぶれるのはご容赦いただきたい。基本的には、挙動不審で、空気が読めず、妙な発言をする女性たちである。
このようにまとめてみると、明石家さんま関係者が多いことに気づく。
元妻の大竹しのぶはもちろん、西村知美、釈由美子、山口もえも彼の番組でそのキャラを見出されている(そもそもからくりTVには不思議さん枠がある)。
一般的に、不思議ちゃんが発言した後の観客の反応は総じて「失笑」である。通常の司会者(たとえばくりぃむしちゅー上田)であれば、その失笑を聞いた後に強く突っ込むという手法をとるが、明石家さんまは会場の失笑に先んじて自ら爆笑することでその面白さを引き出す。そのあたりがこういったキャラの人を預けられる信頼感なのではないかと思う。
あと近年多いのがビジネス不思議ちゃんだ。
千秋のように不思議ちゃんキャラを演じつつ実態は違うこともアピールしたり、小倉優子のように事務所に言われたキャラでしたと否定するところまでを芸風にしているケースもある。
個人的には、不思議ちゃんを演じていた自分を否定するというのはあまり好きでは無い。
加藤鷹が「プラトニックス・セックス」を書いた飯島愛に対して「自分を育ててくれたAV業界を足蹴にしたような女は俺は嫌いだ」と言ったのと同じように、「自分を育ててくれたこりん星」にもっと感謝すべきだと思う。
ーーーーーーーーー
現在も平愛梨や吉高由里子、上野樹里など不思議ちゃんと呼ばれる芸能人は数多い。
今をときめく挙動不審朝ドラ女優能年玲奈もそのひとりであろうし、アイドルでも市川美織や安本彩花など、不思議ちゃんキャラは大量発生中である。
しかし、いつまでも「不思議ちゃん」でいるわけにはいかない。
いつかはみんな年を重ね、選択しなくてはならない。
このまま不思議さんでいるのか、無かったことにするのか、はたまた突き抜けていくのか。
不思議さんでいたい?
ならば、明石家さんまの門を叩けばいいんじゃないかな。
2014.02.16 (Sun)
テレビバラエティの止まらない年功序列化が若者のテレビ離れを生んでいるという仮説
高度成長時代における日本企業の大きな特徴「年功序列」が揺らいで久しい。
欧米型実力主義の導入、バブル期の大量採用とその後の氷河期世代のギャップなどから、時代は年功序列を廃していく方向に流れている。現状、正しくそれを守っているのは銀行業界くらいと言ってもいい。
しかし、ここで話したいのは年功序列か実力主義かといったビジネスの話ではない。日本のテレビバラエティの話である。
1970年代〜90年代にかけて、日本には「若者しか見ないテレビ番組」というものが存在した。
「若者しか見ないテレビ番組」には、若者に人気の新顔タレントが主役として起用され、年寄りにはわからない面白さで徐々に時代を席巻。それまで時代を謳歌した人気者を旧世代に追いやった。そういった新陳代謝がかつてはあった。
ドリフが、ひょうきん族に駆逐され、とんねるずはザ・ベストテンを終了に追い込み、ダウンタウンやウンナンが若くして冠番組を持つ。そういう下克上のうねりが、近時、まったく起こっていないのがひじょうに気になるのだ。
以前、博多大吉が「若者のテレビ離れの原因は、今のテレビバラエティの主役が35歳オーバーで、35歳オーバー世代の目線で作られた番組ばかりだからだ」という主旨のことをラジオで言っていた。
それはそれで正しいと思うのだが、問題はそういった状況を作り出してしまった根本原因である。なぜ主役が35歳オーバーのままとどまっているのか。
私は、テレビバラエティの構造が年功序列化していることが、その主因だと思っている。
バラエティの年功序列化とはどういう意味か。
一部のネタ番組を除いて、今、現在、若手タレント(とくに芸人)が売り出していこうとすると、まずは、実績のあるタレントが仕切る番組のゲスト出演から始まる。
そこでの主役はあくまで「実績あるタレント」であり、あくまで「その色の中」で、爪痕を残したり、うまくいじられたりすることが求められる。何かしらの爪痕を残した次のステップは、「違う実績あるタレントの番組に出る」ことである。しかし、いくら人気が出ても、冠番組を持つには数々のステップを踏まなくてはならない。
ゲストとして実績を踏み、レギュラー番組をいくつか持ち、数々の先輩タレントと絡み、ラジオでも実績をあげ、地方でも頑張って、やっとキー局の冠番組を持てる。しかもその冠番組は自分の色を出せるものとは限らない。脱力系散歩番組の二番煎じかもしれないし、クイズバラエティかもしれない。
これでは、年功序列型の会社である。
まずはAという部署に配属され、部長の配下でやり方を学ぶ。成績が上がると「ではBという部署で今度はやってみたら」と言われる。自分の部下を持つには、永遠に近い長い道のりがあり、いざ部長になれたとしても、ポストの関係で自分の畑違いの部署にまわされ、よくわからないままハンコだけは押している。こんな状況にひじょうに似ている。
このような会社からは、時代を変えるようなアイディアや商品は生まれてこないように、こんな土壌から新しい感性は湧き出ては来ない。
唯一、(内容が新しいかはともかく)若手タレントに冠番組を持たせることに自覚的だったフジテレビも、近年「はねるのとびら」や「ピカルの定理」を終わらせてしまい、その後、このような枠をつくっていない。
なぜ昔のように無謀とも言えるような若手がゴールデンタイムに冠番組を持ち、先輩タレントとは無関係な世界で成り上がっていくことが出来なくなってしまったのか。
テレビ業界自体がスポンサー商売であり、不景気で保守的になっているという時代背景はもちろんあるが、ひとつ契機になったのはオリエンタルラジオの失敗と復活ではなかったかと思う。
「武勇伝」ネタで、若者に大人気だった(とされている)オリエンタルラジオは、わずかな芸歴にも関わらず、いっきに冠番組を複数持った。しかし、その全てがさんざんの評判で、すぐに打ち切りとなってしまった。
その後、低迷期を経て、各々のキャラを活かし再度下積みゲスト枠からやり直した結果、現在では復活を果たし芸能界にしっかりと地に足をつけている。ただ、それはあくまで「主役ではなく脇役として」の活躍である。
これを見たテレビ関係者は「やはり、先輩の庇護の下で経験を積ませてから独り立ちする方が、リスクがない」と感じ、若者に人気があるからと冒険するのをやめたのではないかと思うのだ。
先輩の番組に出た若手芸人はバラエティでは常にいじられる側である。出て来た当初はとんがった芸や考え方をもっていても、繰り返し他人の土俵で転がされていくと、徐々にそれは消えていく。丸くなってから独り立ちすれば、大きい失敗はしないが、大きい成功もまたしない。
たとえば、ちょっとジャンルは異なるが、今女子高生にウケていると言われる「HR」モデルけみおのVine6秒動画。
41歳の私には面白さはわからないが、これはこれで若者にはわかる面白さなわけである。
しかし、これを(情報番組ではなく)テレビバラエティで取り上げるとなると、恐らく「行列ができる法律相談所」とかに呼ばれて、東野幸治やフットボールアワー後藤から色々と上から目線で突っ込まれることになってしまう。
番組は盛り上がるだろうが、それは40代が10代の奇妙な風俗を見て笑う的な盛り上がりであって、10代がこれを見て「ウケる」と言っているのとは全く違う。
10代がけみおを見てうけているのと同じ感覚で10代が笑えるテレビバラエティ、それを10代に人気のタレントが先輩タレントとは隔離された世界で仕切る。そういうのが出てこないことには、テレビバラエティは永遠に年寄りのものになる。
年功序列の会社は定年があるが、芸能界には定年がないのだから。
欧米型実力主義の導入、バブル期の大量採用とその後の氷河期世代のギャップなどから、時代は年功序列を廃していく方向に流れている。現状、正しくそれを守っているのは銀行業界くらいと言ってもいい。
しかし、ここで話したいのは年功序列か実力主義かといったビジネスの話ではない。日本のテレビバラエティの話である。
1970年代〜90年代にかけて、日本には「若者しか見ないテレビ番組」というものが存在した。
「若者しか見ないテレビ番組」には、若者に人気の新顔タレントが主役として起用され、年寄りにはわからない面白さで徐々に時代を席巻。それまで時代を謳歌した人気者を旧世代に追いやった。そういった新陳代謝がかつてはあった。
ドリフが、ひょうきん族に駆逐され、とんねるずはザ・ベストテンを終了に追い込み、ダウンタウンやウンナンが若くして冠番組を持つ。そういう下克上のうねりが、近時、まったく起こっていないのがひじょうに気になるのだ。
以前、博多大吉が「若者のテレビ離れの原因は、今のテレビバラエティの主役が35歳オーバーで、35歳オーバー世代の目線で作られた番組ばかりだからだ」という主旨のことをラジオで言っていた。
それはそれで正しいと思うのだが、問題はそういった状況を作り出してしまった根本原因である。なぜ主役が35歳オーバーのままとどまっているのか。
私は、テレビバラエティの構造が年功序列化していることが、その主因だと思っている。
バラエティの年功序列化とはどういう意味か。
一部のネタ番組を除いて、今、現在、若手タレント(とくに芸人)が売り出していこうとすると、まずは、実績のあるタレントが仕切る番組のゲスト出演から始まる。
そこでの主役はあくまで「実績あるタレント」であり、あくまで「その色の中」で、爪痕を残したり、うまくいじられたりすることが求められる。何かしらの爪痕を残した次のステップは、「違う実績あるタレントの番組に出る」ことである。しかし、いくら人気が出ても、冠番組を持つには数々のステップを踏まなくてはならない。
ゲストとして実績を踏み、レギュラー番組をいくつか持ち、数々の先輩タレントと絡み、ラジオでも実績をあげ、地方でも頑張って、やっとキー局の冠番組を持てる。しかもその冠番組は自分の色を出せるものとは限らない。脱力系散歩番組の二番煎じかもしれないし、クイズバラエティかもしれない。
これでは、年功序列型の会社である。
まずはAという部署に配属され、部長の配下でやり方を学ぶ。成績が上がると「ではBという部署で今度はやってみたら」と言われる。自分の部下を持つには、永遠に近い長い道のりがあり、いざ部長になれたとしても、ポストの関係で自分の畑違いの部署にまわされ、よくわからないままハンコだけは押している。こんな状況にひじょうに似ている。
このような会社からは、時代を変えるようなアイディアや商品は生まれてこないように、こんな土壌から新しい感性は湧き出ては来ない。
唯一、(内容が新しいかはともかく)若手タレントに冠番組を持たせることに自覚的だったフジテレビも、近年「はねるのとびら」や「ピカルの定理」を終わらせてしまい、その後、このような枠をつくっていない。
なぜ昔のように無謀とも言えるような若手がゴールデンタイムに冠番組を持ち、先輩タレントとは無関係な世界で成り上がっていくことが出来なくなってしまったのか。
テレビ業界自体がスポンサー商売であり、不景気で保守的になっているという時代背景はもちろんあるが、ひとつ契機になったのはオリエンタルラジオの失敗と復活ではなかったかと思う。
「武勇伝」ネタで、若者に大人気だった(とされている)オリエンタルラジオは、わずかな芸歴にも関わらず、いっきに冠番組を複数持った。しかし、その全てがさんざんの評判で、すぐに打ち切りとなってしまった。
その後、低迷期を経て、各々のキャラを活かし再度下積みゲスト枠からやり直した結果、現在では復活を果たし芸能界にしっかりと地に足をつけている。ただ、それはあくまで「主役ではなく脇役として」の活躍である。
これを見たテレビ関係者は「やはり、先輩の庇護の下で経験を積ませてから独り立ちする方が、リスクがない」と感じ、若者に人気があるからと冒険するのをやめたのではないかと思うのだ。
先輩の番組に出た若手芸人はバラエティでは常にいじられる側である。出て来た当初はとんがった芸や考え方をもっていても、繰り返し他人の土俵で転がされていくと、徐々にそれは消えていく。丸くなってから独り立ちすれば、大きい失敗はしないが、大きい成功もまたしない。
たとえば、ちょっとジャンルは異なるが、今女子高生にウケていると言われる「HR」モデルけみおのVine6秒動画。
41歳の私には面白さはわからないが、これはこれで若者にはわかる面白さなわけである。
しかし、これを(情報番組ではなく)テレビバラエティで取り上げるとなると、恐らく「行列ができる法律相談所」とかに呼ばれて、東野幸治やフットボールアワー後藤から色々と上から目線で突っ込まれることになってしまう。
番組は盛り上がるだろうが、それは40代が10代の奇妙な風俗を見て笑う的な盛り上がりであって、10代がこれを見て「ウケる」と言っているのとは全く違う。
10代がけみおを見てうけているのと同じ感覚で10代が笑えるテレビバラエティ、それを10代に人気のタレントが先輩タレントとは隔離された世界で仕切る。そういうのが出てこないことには、テレビバラエティは永遠に年寄りのものになる。
年功序列の会社は定年があるが、芸能界には定年がないのだから。
2014.02.04 (Tue)
なぜアイドルは父親と未だにお風呂に入っていることをアピールするのか
22歳だそうである。
何の年齢かというと、先日、テレビで「お父さんとまだお風呂に入っている」と言っていた武田梨奈の年齢である。
22歳と言えば山口百恵なら引退した後だし、北条政子でいえばもう御台所と言われていた時代だ。
かなり成熟した年齢の芸能人が、いまだにお父さんとお風呂に入っているのである。
近年、とみに「お父さんとまだお風呂に入っている」アピールをする芸能人が増えた。
ちょっと前だと加藤紀子が21歳まで父親とお風呂に入っていたし、眞鍋かをりは33歳になっても父親と混浴は平気と言っている。
最近でも、平愛梨(29)・平祐奈(15)姉妹、NMB48の城恵理子(15)、SKE48の古畑奈和(17)が次々にお父さんと風呂に入っている宣言をしており、更には、今をときめくダンサブル女優剛力彩芽(21)までが、先日、父風呂宣言をした。この動きはいったいどういうことなのだろう。
振り返れば、この「お父さんと風呂に入っている」の元祖は、津川雅彦の娘、麻由子であった。
約25年前、デビュー当時、15,16歳で、母親譲りの豊満な肉体を誇った麻由子はテレビ出演するたびに「父親と風呂」宣言をしていた。私の記憶が確かならば、その際の客席の反応は、ただただドン引きであった。
しかし、当時は「引く」と同時に、過剰に浮世離れした津川雅彦・朝丘雪路の娘ならばさもありなん、と思ったのも事実である。つまるところ、みな芸能人固有の奇習と解釈していたわけである。
その時代からすると、今の父風呂ラッシュは隔世の感がある。
もちろん、第二次性徴もとうに終えた女性が父親と風呂に入るのは、現代においても少数派であることは間違いない。
テレビ番組で、芸能人が父風呂宣言をした際の客席の反応は、相変わらず「引いて」いる。
にも関わらず、このようにこぞって父風呂宣言をする背景は、近年の芸能人におけるアピール手法の変化ではないかと思う。
例えば「複数人アイドルグループの中の一人」といった個性を主張しなくては集団に埋もれる、というシチュエーションでは、危機感からときに「虫を食う」など行きすぎたアピールが散見される。椅子の限られるコメンテーターや女優においても、認知度をあげ、地位を確立するために、何かしらのキャラ設定を加えることが多くなっている。
こういった芸能界の中の「キャラ付け」の一手段として、父風呂が利用されているのではないかと思うのである。
アイドルであれば「子供っぽさ」のアピールであると同時に、ファザコン演出として、ファン層のかなりの部分を占める中年男性に幻想を抱かせる効果も期待できる。
逆に武田梨奈や眞鍋かをりのような比較的サバサバしたキャラの芸能人にとっては、家では男みたいなもんですからアピールはキャラをより強化するし、平姉妹のように家族全体としてのエピソードに事欠かない芸能人であれば、やはりあの家族は面白い、となるわけである。
ここ最近の宣言ラッシュで、私の周囲でも反応は変わってきている。
女性ではまだ「引く」人が多いが、とくに男性においてこの「父風呂宣言」は好感を持って捉えられている。テレビで「まだ父親と風呂入っています」と言ってたので好きになっちゃったよ、くらいのことを言う人もいる。
はっきり言ってちょろいと言われてもしょうがないが、中年男性の性として、こう反応するのはやむを得ない。正直わたしも冒頭の番組以来、武田梨奈が気になってしかたがない。
アピール手法としての父風呂宣言はノーリスクで好感度を上げるチャンスである。
例えば汚部屋アピールのようにロケに来られてプライベートを曝したあげく好感度を落とす心配もない。さすがに父親と風呂に入っている場面を映せとまでは言われないので誰もウラはとれない。言ったもん勝ちの好感度アップ作戦である。
当面、この手法は世間が飽きたというまで更に増え続けることだろう。
剛力さんも父風呂宣言を機に好感度が上がることを切に願う。
何の年齢かというと、先日、テレビで「お父さんとまだお風呂に入っている」と言っていた武田梨奈の年齢である。
22歳と言えば山口百恵なら引退した後だし、北条政子でいえばもう御台所と言われていた時代だ。
かなり成熟した年齢の芸能人が、いまだにお父さんとお風呂に入っているのである。
近年、とみに「お父さんとまだお風呂に入っている」アピールをする芸能人が増えた。
ちょっと前だと加藤紀子が21歳まで父親とお風呂に入っていたし、眞鍋かをりは33歳になっても父親と混浴は平気と言っている。
最近でも、平愛梨(29)・平祐奈(15)姉妹、NMB48の城恵理子(15)、SKE48の古畑奈和(17)が次々にお父さんと風呂に入っている宣言をしており、更には、今をときめくダンサブル女優剛力彩芽(21)までが、先日、父風呂宣言をした。この動きはいったいどういうことなのだろう。
振り返れば、この「お父さんと風呂に入っている」の元祖は、津川雅彦の娘、麻由子であった。
約25年前、デビュー当時、15,16歳で、母親譲りの豊満な肉体を誇った麻由子はテレビ出演するたびに「父親と風呂」宣言をしていた。私の記憶が確かならば、その際の客席の反応は、ただただドン引きであった。
しかし、当時は「引く」と同時に、過剰に浮世離れした津川雅彦・朝丘雪路の娘ならばさもありなん、と思ったのも事実である。つまるところ、みな芸能人固有の奇習と解釈していたわけである。
その時代からすると、今の父風呂ラッシュは隔世の感がある。
もちろん、第二次性徴もとうに終えた女性が父親と風呂に入るのは、現代においても少数派であることは間違いない。
テレビ番組で、芸能人が父風呂宣言をした際の客席の反応は、相変わらず「引いて」いる。
にも関わらず、このようにこぞって父風呂宣言をする背景は、近年の芸能人におけるアピール手法の変化ではないかと思う。
例えば「複数人アイドルグループの中の一人」といった個性を主張しなくては集団に埋もれる、というシチュエーションでは、危機感からときに「虫を食う」など行きすぎたアピールが散見される。椅子の限られるコメンテーターや女優においても、認知度をあげ、地位を確立するために、何かしらのキャラ設定を加えることが多くなっている。
こういった芸能界の中の「キャラ付け」の一手段として、父風呂が利用されているのではないかと思うのである。
アイドルであれば「子供っぽさ」のアピールであると同時に、ファザコン演出として、ファン層のかなりの部分を占める中年男性に幻想を抱かせる効果も期待できる。
逆に武田梨奈や眞鍋かをりのような比較的サバサバしたキャラの芸能人にとっては、家では男みたいなもんですからアピールはキャラをより強化するし、平姉妹のように家族全体としてのエピソードに事欠かない芸能人であれば、やはりあの家族は面白い、となるわけである。
ここ最近の宣言ラッシュで、私の周囲でも反応は変わってきている。
女性ではまだ「引く」人が多いが、とくに男性においてこの「父風呂宣言」は好感を持って捉えられている。テレビで「まだ父親と風呂入っています」と言ってたので好きになっちゃったよ、くらいのことを言う人もいる。
はっきり言ってちょろいと言われてもしょうがないが、中年男性の性として、こう反応するのはやむを得ない。正直わたしも冒頭の番組以来、武田梨奈が気になってしかたがない。
アピール手法としての父風呂宣言はノーリスクで好感度を上げるチャンスである。
例えば汚部屋アピールのようにロケに来られてプライベートを曝したあげく好感度を落とす心配もない。さすがに父親と風呂に入っている場面を映せとまでは言われないので誰もウラはとれない。言ったもん勝ちの好感度アップ作戦である。
当面、この手法は世間が飽きたというまで更に増え続けることだろう。
剛力さんも父風呂宣言を機に好感度が上がることを切に願う。

2013.04.30 (Tue)
ちびせんは死なず

先日、やきそばかおるさんからの呼びかけにより取材いただいたちび女子記事が本日掲載されました。
ちっちゃい女子あるある(エキサイトレビュー)
ちなみに当日の様子はいっしょにいた宮武さん(150cm・両八重歯)のブログに載ってます。
低身長 (宮武愛理のHeartful days)
この記事を見て、ナマ宮武さんを見たくなった方は是非ライブへ。
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今回、記事としては、ちっちゃい女子あるあるがメインなので私の主張はほんの少しでしたが、せっかくなので「ちびせん」「チビブログ」時代からの自説を再度おさらいしておきたいと思います。
- ちびせんとロリコンは違う。あくまで低身長が良いのであって低年齢ではない。
- ちびせんは、ちび女子の寸詰まり感から来る愛らしさを愛でる趣味。
- ちびには比較物がないと身長のわかりづらい「相対的チビ(例:小泉今日子)」と、比較物がなくとも身長が低そうに見える「絶対的チビ」がいる。ちびせん的に望ましいのは絶対的チビ。
- ちびを全面的にポジティブに捉える女子はいただけない。半分コンプレックス、半分チャームポイントでよい。
- だからミニモニには乗れなかった。
- そもそも日本は諸外国と比して小さい女性芸能人は多い。複数人アイドル時代でますます増えている。端的な例はAKBの高橋みなみ148cm、大島優子152cm、ももクロ有安杏果148cmなどなど。
- これはドラマや歌番組に於いてそんなに背が高くないジャニーズタレントが一定割合を占めるため、その相手役・並ばせ役としてより背の低い女性を求めるという事情もあると思われる。ジャニーさん、ありがとう。
- 最近だとスポーツ選手にちびが多い。重量挙げの三宅宏美選手、八木かなえ選手、体操の寺本明日香選手などなど。
- ちび女子を好む男子はとかく自分への自身の無さから話しかけやすいちび女子に行きがち。そうではなく、ちび女子を守る気概で声をかけて欲しい。
ちなみに私は、185cmの父と145cmの母に育てられ、152cmの妻をめとった遺伝子に組み込まれたちびせん。
これからもちびせん啓蒙にいそしみたいと思います。
ちなみに「ちび」というのは諸事情あって記事ではなかなか使えない単語ですが、私はポジティブな意味で使ってます。あしからず。
八重歯だの、低身長だの、でこ出し女子だの、陥没乳首だの女子のコンプレックスばかりに光を当てるめんどくさい私ですが、そういったところが好きな男性もいる、という事実が、これら特徴を持つ女子の力と自信に少しでも貢献できるとうれしいです。
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あと、昔やってた「ちび川柳」もこれを機に復活させたいなあと思ってます。
クラス替え 探すあの娘は 一番前
とか
うしろ向く つむじに載せる ホワイトデー
とか。続きはtwitterで。
2012.11.11 (Sun)
ふぁんしー再公開
3年くらい前につくったサイト「ふぁんしー」。
当時はすぐ飽きてしまってほんのちょっと触れただけでやめてしまいましたが、近時あらためてもっと突き詰めて研究すべきテーマだなあ、と思いたち、再度写真を撮り始めたのが半年くらい前。
先日の岡山のイベントで発表したところ、想像以上に反応が良かったので、改めてサイト(というかブログというか)を作り直しました。
「ふぁんしー」
今回は単純に写真を並べてコメントするだけでなく、ふぁんしー論をぶってみようかと思います。
まだ事例を多数アップしただけで、ふぁんしー論はこれからですが(目次だけ)、ひとまず公開。
地味にふぁんしー事例も募集しますので、メールかtwitterでくださいまし。
当時はすぐ飽きてしまってほんのちょっと触れただけでやめてしまいましたが、近時あらためてもっと突き詰めて研究すべきテーマだなあ、と思いたち、再度写真を撮り始めたのが半年くらい前。
先日の岡山のイベントで発表したところ、想像以上に反応が良かったので、改めてサイト(というかブログというか)を作り直しました。
「ふぁんしー」
今回は単純に写真を並べてコメントするだけでなく、ふぁんしー論をぶってみようかと思います。
まだ事例を多数アップしただけで、ふぁんしー論はこれからですが(目次だけ)、ひとまず公開。
地味にふぁんしー事例も募集しますので、メールかtwitterでくださいまし。