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2014.03.30 (Sun)

はしのえみは朝ドラヒロインであった

はしのえみが18年の長きに亘る王様のブランチレギュラーを卒業した。

18年前といえば、橋本龍太郎内閣が発足し、東京ビッグサイトが開業し、清原が巨人に入った年である。
そんな昔から、はしのえみは土曜の半日間をブランチの生放送に費やしてきたのだ。

はしのえみの18年間の王様のブランチ生活を喩えるならば、朝ドラヒロインであったと私は思う。

ーーー

今でこそ、週休2日は当たり前だが、公務員が土曜日も休みになったのは1992年のことである。
公立学校が完全に土日休みになったのは2002年(1992年以後段階的に導入)のことで、それまではみな、土曜日午前中は、会社なり学校なりに行っていたのだ。

テレビ番組も土曜昼といえば「学校から急いで帰って見る」時間帯からが本番であり、西日本であれば吉本新喜劇から、東日本であれば女の60分かお笑いスター誕生あたりからやっとエンジンがかかるのが常であった。

そんな週休2日がやっと定着しかかった1996年、土曜の午前中に半日かけての生放送という新しい試みでスタートしたのが「王様のブランチ」である。

司会は寺脇康文と田中律子。レギュラー陣に関根勤、恵俊彰、くりぃむしちゅー、神田うのなどを配し、映画や書籍情報、おすすめスポット紹介、グルメレポートなど今も大きく変わらぬスタイルで始まったこの番組。
主にロケによるレポートを担当したのが、ブランチレポーターたちであった。

ウルトラマンの娘、吉本多香美や、既にグラビアなどで活躍していた中森友香などがレポーターとして配置される一方、若手女性タレントの登竜門的な位置づけは意識されており、当時から無名のタレントが抜擢されることも多かった。

しかし、そこは今で言う「リア充」テイストたっぷりの番組。加えて開始当初は関東ローカルであり、扱われる情報は東京中心。採用されるレポーターも親しみ易くもあか抜けたタレントがメインであった。

当時のはしのえみは、鹿児島生まれの鹿児島育ちで、高校一年修了と同時に上京し欽ちゃん劇団に所属。劇団で修行する傍ら、ブカブカという欽ちゃん劇団から生まれた4人組女性ユニットのメンバーでもあった。
ちなみにブカブカの命名者は欽ちゃんで、シングルCDを4枚出したが鳴かず飛ばず。レコード会社の同期、TOKIOの華々しさとは対極にいた。

そんな垢抜けない女性タレントが、なぜ当時ブランチレポーターに選ばれたのかはわからない。
たまにはこんな子も入れてみるかというプロデューサーの気まぐれだったのかもしれないし、欽ちゃんとTBSの長年の関係によるものかもしれない。

真相はわからないが1996年7月。番組開始から3ヶ月後に、はしのえみはブランチレポーターに抜擢された。

ーーー

ところで、次回の朝ドラは「花子とアン」だそうである。
赤毛のアンの翻訳者村岡花子の生涯を描く今ドラマは、予告を見る限り、王道の朝ドラパターンのように思う。

山梨県の貧しい家に生まれた花子は、両親の「教育を受けさせたい」情熱により、華族や富豪の娘が通うミッションスクールへ。環境の違いにとまどいながら、家庭を支えるため勉学に励み、初恋や親友との出会いを経て、翻訳家の道を志す。

生まれたときから少し変わった女子だった主人公が、運命のいたずらと周囲の努力により、異物として特殊な環境に放り込まれ、ときにはいじめにあい、ときには生涯の友と会い、ときには色恋に身をやつしながらも、持ち前の前向きさとパワーで、周囲を巻き込み、本人が成長していくとともに、世の中も変えていく。

これまで何度も繰り返されて来た朝ドラプロットだ。

おそらくはしのえみがブランチレポーター陣に加わったとき、周囲もそして本人も明らかに居心地の悪さを感じたはずである。旬のトレンドをお伝えする番組のレポーター陣の中に、当時もっとも旬とは遠くなっていた欽ちゃん劇団から来た垢抜けない女子がまざっているのだから。

欽ちゃん劇団の中では若くてぴちぴちした娘であっても、並みいる女性タレントの中に入れば「色物」である。CHA-CHAの中にいる松原桃太郎のような存在、最初はスタッフの間でもそのような位置づけだったのかもしれない。

しかも、90年代半ばは、今と違って最も「一生懸命がかっこわるい」とされていたすかした時代である。
欽ちゃんの教えを守り、清く正しく一生懸命にレポートするはしのえみは、ひじょうにかっこわるく映ったことだろう。

懸命に頑張れば頑張るほど、からまわる日々。恐らく鹿児島に帰りたいと思った日も一度や二度ではないだろう。しかし、それでもはしのえみはレポートを頑張った。力一杯、料理の味を、スポットの魅力を、大将直伝の親しみ易さとひたむきさで伝え続けた。そうしていくうちに、徐々に流れは変わっていく。

当初は実験的だった番組も、完全に土曜午前の定番として人気が定着。番組発のヒット企画も多数生まれる等、勢いが増していく。さらには、1997年に、後に盟友となる坂下千里子がレポーターとして加入。阿部美穂子、雨宮朋絵など初期黄金メンバーがブランチレポーターを彩り、BRAN-KOとしてCDも出すなど、出演者への注目も高まっていった。

それと同時にはしのえみは番組のテイストにも馴染み、レポーター陣のセンターとして存在感を増していく。
いや、はしのえみが番組に馴染んだというより、徐々に王様のブランチ自体がはしのえみの影響を受け「田舎から東京に出て来ているOLが東京情報を仕入れる場所」的なテイストで固まっていったのかもしれない。

そして1998年、姫様のお買い物コーナーがスタート。いちレポーターとしては異例の冠コーナーを持つこととなったはしのえみは、劇団出身者としてあくまで「別人格」という設定の姫様を演じ続けた。とくに坂下千里子との掛け合いは若手女性タレント同士のからみとは思えぬ笑いを産み、はしの・坂下両名ともに後に笑っていいともレギュラーになる布石となった。

こうして、ブランチの顔の一人となったはしのえみは、2000年にレポーターは卒業したが、番組レギュラーとしては残留。姫様のコーナーもまた続いていったのだった。

その後も水野裕子、中越典子、安めぐみなど、数多くの女性タレントがブランチレポーターとして活躍。その間、はしのえみは、姫様のかつらを毎週のようにかぶり続け、後輩を見守り、叱咤激励し、そして卒業していくのを見送り続けた。

男性司会は寺脇康文から谷原章介へと移り変わり、女性司会もさとう珠緒、優香、本仮屋ユイカと変遷。映画コーナーも書籍コーナーも担当アナウンサーも変わっていく中、いつしか、はしのえみは番組最長のレギュラーとなっていた。

最初は異物だったはずなのに、懸命に前向きに努力した結果、ついには番組の顔となり、誰よりもその番組を知るものとなったはしのえみ。その18年間はまるで朝ドラヒロインのようであった。

朝ドラの終わりは、年老いた主人公が生涯を振り返るのが常である。
ならば、はしのえみのドラマもまだまだ大団円には早い。

20年後、還暦を迎えたはしのえみが、老いた顔に姫様のかつらをかぶって、ブランチにゲスト出演し、当時の苦労を振り返る。そんな日がくるまで、王様のブランチが続いていることを祈りたい。
22:47  |  テレビ・芸能コラム  |  EDIT  |  Top↑
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